考えのきろく

思ったことをかくところ

真実とはなにか

 

 

月曜日の朝

勉強している途中に見つけた

「不幸論」という本にある言葉

 

“この世では、幸福はいつも真実を食い尽くす。真実を呑み込み、胃袋に入れて消化しようとする。幸福な人の眼は真実を見ていない。彼は真実を見ることをあきらめて虚偽を見ている。虚偽を見ながら、「これでいいのだ」と自己催眠をかけている。中島義道『不幸論』 ”

 

 

幸せな人は多くのものを「見落とした」結果、

幸せや自信を見ているらしい、、、

 

 

 

これを見て朝からモヤモヤと。

 

なるほどねぇとも思いつつ

なんだか自分のアイデンティティ

凄く否定された気にもなったり、、、

 

 

 

 

でも今日、ちょっとスッキリする答えが

見つかった。

 

 

 

 

それは「量子もつれ

 

 

いや~私の中の2022年大ヒット!

 

 

この考え方で言うと結果はいつも揺れ動いていて

それを観察するまで動いてる。

観察した時に初めて結果が決まり

観察しないとまた揺れ動くという、、、

 

 

なんとも難しいし

この説明があってるかも分からないけど。

 

 

でもね、これをきいて

幸せな人が真実を見落としてるという

一面もあるけれど

不幸な人が幸せを見落としてるという

そんな一面もあるなと。

 

 

 

結局その結果はどう見るか、どう思うか。

そして例えば、見落としがあるとするなら

それを真実や結果として見なくとも、

前意識には入れておくとか。

 

たとえ見てなくても

いつも意識しなくても、

ネガティブなことや真実を前意識に置いておく。

それでいいのでは?って。

(Freud.S 局所論、臨試で久々に見たから使った)

 

 

だって幸せな人もずっとポジティブな面だけを

見続けることは出来ないし

私、自分のことポジティブだなあって思うけど

ちゃんと落ち込む日もあるし。

 

 

変化し続ける日々や人々の中で

きっと真実だって変化し続ける。

 

 

それを自分がどう見るか、

何を真実と思うのか。

それが重要だなあって。

 

 

てか、真実を見落とし続けてる人なんて

居ないんじゃないかな?

見落としているように見える人も

それは防衛反応だったりするかもしれないし。

 

 

まぁ話を戻して

量子もつれ

なんだか科学がちょっとスピリチュアルな

そんな所へ向かっているなぁと。

 

 

心理学は科学に基づいてるなんていうけど

見えない心を扱う学問だから

やっぱり科学だ!!!という印象は無いけど

でも、そんな科学が、量子力学

運命とかそんなこと言い出したら

ちょっと心理学も科学っぽいし

やっぱり学んでて楽しいし

いいなあ~って思う。

 

 

 

そして最近は

つくづく臨床心理の考えを

持ち合わせてきたなあと思う。

 

臨床って面白い。

 

 

これはまた今度メモに残そう。

 

 

 

 

 

 

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